光の街とわたし

フランス・リヨンでの留学生活

光の街リヨンの歴史:フランス留学生活

Bonjour! みなさん、こんにちは。さきです。

今日は私の留学先であるリヨンの歴史についてお話ししたいと思います。

以前、このブログを始めたばかりの頃にリヨンについて紹介したのですが、今回は授業でリヨンの歴史について詳しく学んだので、それをもとに説明していこうと思います。

 

以前リヨンを紹介して時の記事はこちら↓↓↓

saki-juillet.hateblo.jp

 今回は以前よりもより詳しい内容をお伝えできると思います。

では、on y va!

 

 

リヨンの歴史

リヨンはフランスの南東部に位置する都市で、パリに次いで2番目に大きな都市です。

リヨンは古代ローマ時代から栄えてきました。

当初はガリア人やケルト人が居住していましたが、そこにローマ人も居住するようになりました。

Lucius Munatius Plancusというローマの政治家が領事としてリヨン(現在のフルビエールの丘)を発展させました。

この時の町の名前は「Lugdunum(ルグドゥヌム)」 といい、「光の街」または「カラスの丘」という意味だと推測されています。2つの意味が違いすぎて果たして本当なのかはわかりませんが…。

Lugdunumはローマ帝国の交通の要所として栄えました。水道設備や劇場なども作られて、人口は推定35000人から50000人と言われています。

 そのLugdunum の町の地図はこちら

f:id:Sakishi7:20191021055058j:plain

Lugdunum の地図

 想像していたより大きいと思いませんか?

やはりローマの技術は恐るべしですね。

ちなみに、この古代リヨンでは超有名人が生まれているのですが、誰かわかりますか?

 

 

正解はガイウス・ユリウス・カエサル‼︎

そう、「ブルータス、お前もか」などの言葉やクレオパトラとの関係で有名なあのカエサルです。まさか、リヨン出身だったとはという驚愕。街で生まれた有名人のレベルが違う。

 

このようにリヨンは古代ローマ時代から発展した大きな都市なのです。

 

La fête de lumière に関する伝説&歴史

リヨンは12月の初めにLa fête de lumière という大きなお祭りがあることで有名です。

クリスマス前に町全体がイルミネーションされる他、近年は建物に光を映し出すアートが町中で見ることができます。

そのLa fête de lumière の起源についてお話ししようと思います。

 

1850年代にリヨンでは多くの教会が建設され、フルビエールの丘にはマリア像が建設されました。このマリア像は1830年代に街でペストやコレラが流行していたため、それをおさめるために建設されました。

マリア像が流行をおさめるために建設された理由として、この200年ほど前の1643年にペストが流行した際に聖母マリアを祀る式典を開催したところ流行が収まったという伝説が残されているためだと思われます。

このマリア像が完成したのが1852年の12月8日であり、この日にヒロ人が窓際にろうそくをともしたそうです。

これが光の祭典 La fête de lumière の起源だと言われています。

そしてリヨンが光の街といわれる理由なのです。

私もブログの名前につけさせてもらっています(笑)

 

リヨン出身の有名人

さて、リヨンは大きく歴史ある街なので、数多くの有名人がここで生まれました。

歴史を説明した時に言ったようにカエサルはリヨン出身です。

しかし、この他にも多くの有名人が生まれています。

 

まず、André-Marie Ampère です。私は最初聞いた時全くピン来なかったのですが、理系が得意な方はわかるかもしれません。

そう、電流の単位であるアンペアはこの人の名前から来ています。

彼は電信機を発明した人で、電子機学の理論を説いた人物でもあるそうです。私はこの分野に関して全く知識がないのですが、アンペアという単位は知っていたので驚きでした

 

次はLumière兄弟です。August Lumière とLouis Lumière の兄弟はシネマトグラフという映写機を発明した映画の発明者として世界に知られています。

私たちが大好きな映画の起源がリヨンに関係しているとは最初は驚きでした。

このLumière兄弟に関する展示物があるInstitut lumière という美術館がリヨンにあります。リヨンの中でも有名な観光地です。

 

お次はAntoine de Saint-Exupéryです。彼はパイロットであり、ジャーナリストであり、詩人であり、作家である人物です。あの有名な世界的文学「星の王子様」を書いた人物です。星の王子様は私が大好きな本なので、彼が生まれた地に来れてとても光栄です。

星の王子様は大人になって読むととても深く、考えさせられますよね。そして絵のタッチが可愛いです。星の王子様はパイロットが砂漠に不時着して王子様に出会うというところから始まるお話ですが、サンテグジュペリパイロットであったというところにロマンを感じます。

ただ、彼の最後はかなり残酷で、フランス軍パイロットであったため、任務で地中海の調査に出たまま彼は戻らない人となりました。フランスと対戦するドイツ軍の中にはサンテグジュペリのファンが多くいたそうで、彼とだけは戦いたくないという人が多かったそうです。

リヨンの中心部であるBellecour広場にはサンテグジュペリと星の王子様の像が置かれています。リヨンを象徴する人物です。

 

f:id:Sakishi7:20191021063109j:plain

サンテグジュペリと星の王子様

 

他にもリヨンには世紀のシェフとよばれ、彼の名前がついた「Le Bocuse d'Or(キンのボキューズ)」コンクールが大変有名なPaul Bocuseやフランスの有名な映画監督であるBertrand Tavernierなどの多くの著名人がいます。

 

まとめ

さて、リヨンの歴史や詳細を知っていただけたでしょうか。

リヨンは日本ではあまり有名でないかもしれませんが、とても歴史があり、面白い街です、観光名所も多くあるので、ぜひフランスに来た際はリヨンに訪れることを考えてみてください。

リヨンはラグビーやサッカーなどでも有名ですし、美食の街としても知られています。

今後、そのようなリヨンを紹介するブログも書いていきたいと思っています。

 

また読んでいただけると嬉しいです。

では、Au revoir!

 

さき